保守でもリベラルでもリバタリアンでもない、単なるオポチュニスト

マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』を読んで、今さらながら自分の政治的スタンスがわかってきた。アメリカ的な保守派とリバラリニズムの信奉者と思っていたが、結局のところフリーランスという職業がそうさせているだけの気がする。

正確にいうなら、功利主義といっても最大多数より自分自身の幸福にしか興味がない利己主義者。立場によって主義主張がころころ変わるオポチュニスト(日和見主義者)といえる。あるいは公務員・会社員・起業家、黒人・白人・日本人というそれぞれの立場によって、政治思想は事後的に選ばれるというのが真実ではなかろうか。

「中立的な善はあり得ない」と信じる点では、サンデルのコミュニタリアニズム(共同体主義)に賛成する。ただし、自分のバックグラウンドはカトリックでも建国の理念でもなく、単なる拝金主義だと思う。世の中お金がすべて。自分の財布の最大幸福にしか興味がない。

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リベラル≠リバタリアン

そもそもリベラル(liberal 自由、進歩的)とリバタリアニズム(libertarianism 自由主義)は語感からして同じものだと思っていた。自分の知識レベルはその程度のものだ。

さらにリバタリアンは、ファミコン版MOTHERの最後の方に出てくるエビみたいな敵キャラだと思い込んでいた。あらためて調べるとゲームの方はタイタニアンだった。よく見ると、どこが顔で目なのかわからない気色悪いキャラクターだ。

女神転生シリーズにはボディコニアンという忘れがたいキャラがいる。1990年頃にオバタリアンというマンガも流行った。あれはリバタリアンでなく、ホラー映画『バタリアン』のパロディーであったらしい。「羞恥心がなく厚かましい」というオバタリアンの特徴には、「世間体より個人の自由を優先する中年女性」という自由至上主義の含みがあったのかもしれない。

「自由」というキーワードが共通するのでまぎらわしいが、現在のリベラルが社会問題の解決に政府の介入もいとわないのに対し、リバタリアンの方はあくまで個人の意思を尊重する点で真逆になる。そもそもリベラル(左翼)の対義語は、保守(右翼)といわれている。

保守とリベラルの違い

アメリカでは保守派とリベラル派がよく対比される。リベラルが進歩・自由を尊重する新しい勢力だとすると、保守派は伝統を重視する立場なはずだ。芸術の分野でいうと、リベラル=モダニズム、保守=古典主義という感じがする。リベラルがシーグラム・ビルだとすると、保守派はパルテノン神殿みたいなイメージ。当然リベラルの方が近代的でカッコいい。

保守=右翼とするとリベラル=左翼ともいえる。おおまかにそんな風に理解していたが、たまに逆ではないか思われる主張を見て混乱することがあった。日本の政党も保守派であるはずの自民党が憲法改正して、逆に革新派の社会党・共産党が護憲の立場だったりする。どこの国でも、右とか左という区別はとうに形骸化しているのかもしれない。

さらにリバタリアンというのは保守―リベラルの軸とも異なる、第三の政治的ポジションであるらしい。「個人の自由」という観点ではリベラル派とリバタリアンの意見は一致するが、福祉国家の是非については対立する。「市場の自由」という観点では保守派とリバタリアンの意見は一致するが、所得の再分配については対立する。

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2次元のノーラン・チャート

ノーラン・チャートという2次元の図を見て、リバタリアニズム―ポピュリズム(全体主義)、リベラル―保守というのが互いに直行する軸だと理解した。このサイトのフォームに回答してみると、自分の政治思想は右翼度70%で左翼度は50%程度と診断された。

しかしながら自分が「右翼に近い」といわれるのは違和感がある。どうやら日本でいう右翼と、デイヴィッド・ノーランが意味する米国の右翼はまったく別物であるらしい。アメリカの保守・右翼とは元イギリスのリベラル・左翼が海を渡ってきたもので、建国時の理念(自由、減税)、すなわち「小さな政府」を標榜する立場だ。保守派は古典的自由主義ともいわれる。

逆にアメリカでリベラルといえば、増税して社会福祉にお金を回そう(大きな政府)という立場になる。がんばってお金を稼いで自由に使おうと思ったら、税金をたっぷり取られて公共事業や生活保護に回される…リベラル(自由)といいつつ平等主義なのは矛盾に感じる。

米国以外では意味が逆

Wikipediaによる「リベラル」の解説には以下の注釈がある。

この用法はヨーロッパを含め世界的には一般的な用法ではなく、アメリカ合衆国の以下の歴史的経緯などの特殊性による用法である。

つまりアメリカとそれ以外で意味が真逆なうえ、どちらかというと保守やリベラルという言葉はアメリカの政治分野で聞く言葉だから、ますます混乱に拍車をかけているようだ。

用語に惑わされず具体的な理念でいうと、ベンジャミン・フランクリンのようなプロテスタント的倫理でガチガチの商売人は、米国定義の保守派と考えて間違いない。加えてアイン・ランドンの小説が描く暗黒の未来は、およそ人類の政治システムが陥る最悪の状態だと確信しているなら、本物のリバタリアンだろう。

基本的に保守だが、リバタリアンになり切るには個人的自由を信じていない中道派…それが診断通りの自分の立ち位置といえる。マイケル・サンデルの本で功利主義=米国保守派と定義してよいのかわからないが、そう解釈するとしっくりくる。

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日和見主義あるいは御都合主義

妊娠中絶やES細胞の研究に関する道徳的なジレンマとは、永久に決着がつかないだろう。「効用」や「選択の自由」を持ちだしても、中立的・絶対的な正義の原理は見つけ出せないというサンデルの意見に賛成だ。ジョン・ロールズの「無知のベール」とは、現実的に実現できない思考実験でしかない。

ベンサミズムを信奉していても、正直自分は最大多数より自分自身の最大幸福にしか興味がない。相対主義的な功利主義とでもいえるだろうか。もっと単純に日和見主義、あるは森見登美彦のように御都合主義といってもよい。横文字で言えばオポチュニズム(opportunism)。

「効用」を教科書通りの「最大多数の最大幸福」ではなく、「個人的な幸せ(あるいはお金)」と言ってしまえば単純明快だ。もしノーラン・チャートに「個人主義・利己主義―全体主義・利他主義」という第3の軸を想定したら、自分は極端に利己的で身勝手な人間だと思う。

最近の脳科学や行動経済学を参照すると、人間が主張する正義など、しょせんその時の状況におけるインセンティブの優劣でしかないと考えるようになってきた。日常的でも政治的にでも、人が判断するときは必ず周囲の環境(コミュニティー)から無意識のプライミングを受けている。

政治思想は立場による

例えば米国の大学入試におけるアフォーマティブ・アクション(積極的差別更正措置)は、自分が黒人でマイノリティーなら賛成、白人なら反対すると思う。自分が富裕層なら高所得者の増税を忌避するだろうし、底辺層なら逆に歓迎するだろう。

「そのときの立場によって自分に有利な政治思想を支持する」というのが、日和見主義者のモットーだ。「正義」本の流儀に従って、たとえ話で考えてみよう。

もしマイケル・サンデルがスーツを着て講義するハーバードの気障なエリートでなく、田舎のぼろいシェアハウスに暮らす同居人だったとしたら?共用スペースは荒れ放題。誰かがトイレにゴミを置いて、捨てずに放置され異臭が漂ってくる…コミュニティーなんてくそったれだと思うだろう。

あるいはサンデル教授が大学教員という公務員でなく、フリーの著述家・セミナー講師という立場だったら?「公民的生活基盤の再構築」なんていうより先に、日銭を稼いで家族を養うのが優先だ…税金なんてくそったれだと思うだろう。

反ノブレス・オブリージュ

「家族すら満足に養えない者は、信仰なき者にも劣る」というキリスト教の格言がある。これを逆手にとると、貧民にはノブレス・オブリージュの反対の責任(権利)があるように思う。

「自分のケツを拭けない者はノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)」とイエスが言ったかどうかは定かでない。とりあえずまともに稼げるようになるまでは、公共の正義など論じても意味がない。低所得で税金が免税されるように、貧乏人は路上の雪かきとか、市民の義務がある程度免除されてよいと考えている。

選挙に投票に行くよりバイトでもして稼いだ方が社会や経済の役に立つ。もし多少なりとも稼げるようになったら、そこではじめて社会制度を論じればよい。もし順序が逆になれば、ハンク・リアーデンの弟のように、働かないで政治活動やボランティアに現を抜かす「たかり屋」ばかりになってしまう。

経営者かつ労働者という立場

低所得で税金を納めない人間が「増税・福祉・公共事業」しか主張しないのは、インセンティブからして明らかだ。月給8万以下で所得税ゼロの自分に選挙権は必要ない。他人にケツを拭いてもらうことばかり考えている人間が投票したら、ポピュリズムに陥るのは明らかだ。

一方で、保守派の富裕層しか投票しなければますます「小さい政府」になって、公共サービスは劣化してしまうだろう。ただでさえ所得が低いのに、水道代や病院代が値上がりしたらたまらない。

その意味では、底辺層は共産党に投票すべきなのだろうか。自分は低所得な労働者だが、同時に零細企業の経営者でもある。税法上は「使用人兼務役員」という用語があるが、代表取締役には適用されない。合同会社の業務執行社員も同様だ。

労働保険には加入していないし、1人企業で残業代とか考えても意味がない。売上も少なく毎年赤字なので法人税はゼロだ。減税されても恩恵は受けられない。

どっちつかずの正義

いろいろな立場を兼ねているので、どの政策を支持すべきかわからない。どちらかというと、経済的には規制が少なく自由な方が好ましく思われる(その方が自分は稼げる気がする)。

衆愚政治を嫌悪する時点で、アリストテレス風に国民の美徳とか善良なコミュニティーというのを信じているともいえる。曖昧ながらも何らかの社会的・歴史的役割に絡んでいて、道徳的な主義主張は持っている。

あるいは単に政治に無関心ということかもしれない。自分ごときが政治について考えても、一円も儲からないからだ。選挙に行く時間があったら仕事したい。プロテスタントなフリーランスには平日も土日もない。実際のところ、もう10年以上投票に行った記憶がない。

子供を産んだら1億円もらえるなら、よろこんで結婚する。選挙に行って1万円もらえるなら、万難を排して投票に行く。そういう人間は、やはりオポチュニストと呼ぶしかないようだ。

『ONE PIECE』の海軍大将、黄猿はあまりカッコよくないが、「どっちつかずの正義」という表現は的を得ている。